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丸博コラム

乗務員の武器やペリー艦隊を知る史料


右の方は当時身につけていたサーベルなどが描かれています。 下の方には小さな船があります。
大きな黒船から陸に上がる時にはこういう小さなボートでやって来たのかもしれないですね。

そして、左の大きな船が黒船です。
色が付いていませんが、船体はコールタールを塗って真っ黒だったのだそうです。
ですから、黒船というふうに呼ばれています。

真ん中に水車のようなものがあり、石炭を燃やして船を進めていくのです。
「蒸気船の長さ四十五間」と書いてありますから、およそ80メートルの大きな船です。
この船には500人くらいの人が乗っていたと書いてあります。
真ん中には煙突があり、もくもくと煙が出てます。
その左のところに「大将の之営」と書いてありますから、
きっとペリーはこの辺りにいたんでしょうね。
そして、色んな指示を出していたのかもしれません。

蒸気船は石炭で走りますが、太平洋の真ん中で石炭が切れては困るので、帆船にもなるそうです。
必要な時には帆船蒸気船で走り、風がある時には帆船で走っていく、というようなこともあったようです。
四隻で来ましたが、全部蒸気船ではなく、二隻が蒸気船、二隻は帆船でした。

ペリーは本当はもっと大きい艦隊、七隻くらいの大艦隊で来たかったそうなのですが、
アメリカも予算の都合があるのでしょうか、四隻しか出せないということで、
渋々、四隻の船で日本まで来たとか。

では何のために日本に来たのかというと・・・
当時アメリカは捕鯨を一つの生産手段としていて、
その捕鯨船の食料食糧、燃料、それからその乗務員の救助等々を頼む目的で来ていました。
そして、中国との貿易をする中継ぎ貿易。
アメリカから日本経由で中国に行ったほうが、石炭にしろ食料食糧にしろ、
色んなものが便利ですから、そういう中継地として仲良くしようよということが、
開港の一つの理由だったそうです。

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