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丸博コラム

ペリー艦隊上陸を知る史料


この絵は、ペリーが日本に上陸をしてきたときの様子です。

上に小さな字で書いてあります。
“アメリカ人 久里濱上陸行軍之図 惣人数500余人”
大部隊ですね、500人の行列。

これを見ると前の方に星条旗を持って太鼓を叩き、楽器を奏でながら行進をしている。
その後ろに鉄砲を担いだ兵隊さんが歩いていく。
その次に、ちょっと背が低い子供どもが2人、アメリカ大統領の国書を持っています。
真っ赤な布に包んで持ってきたと書いてあります。
その後ろに、「惣大将」と書いてあります。
ペリーとは書いていないのですけれども、きっとこれがペリーなのです。
ちょっと大柄な人のようですね。
その後をずーっと兵隊さんがついていますけれども、
これがを全部数えると約500人だったという風ふうに記録があります。

次に左の方を見ましょう。
今度は、“久里濱陣営之図”と書いてあります。
これは、日本軍の守りですね。
惣人数1,100有余人。
アメリカ、ペリーの艦隊御一行様が500人で来ました。
それを待ち受けて守る態勢は1,100人くらいで日本の軍隊が出迎えているという状況です。

この時の共通言語はなんだったのでしょうか?

日本人は日本語、アメリカ、ペリーの方は当然アメリカ英語なのですけれども、
その間で通訳する人がいたのです。
当時日本は鎖国をしていたので、アメリカ等々とは交流がなかったため、
英語はあまり日本の中では通用しなかったのでしょうね。

では、どうやって会話をしたのでしょう?

それは・・・オランダ語だったのです。
日本は長崎の出島で、オランダとは交流があり、オランダ語を話せる人は結構いたのだそうです。
アメリカの方でもオランダ語は使えたそうなので、オランダ語を介して交渉をしたんですね。

ペリー、アメリカの艦隊が来るということは日本の中枢の人たちは把握していたそうですが、
知っていても日本の方は実際には何をしていいかわからず、防備を固めるだけというのが状況だったそうです。

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